ななしちゃんのブログ

ななしちゃんvsきしねんちゃん 日々の死闘

「変なの」という感覚

 

最近占いにハマった。

ホロスコープっていう西洋占星術

取説かよってくらいわかりやすい。

自分の中身を客観的に見て答え合わせしてる感覚。

ちょっと怖くなったりする。

 

星座は2つあって、太陽と月に分かれてる。

牡牛座と水瓶座だからだいぶ反対なんだけど、

「変なの」って思いながら社会で「しっかり者」で生きることがずっと苦しかったからその理由は解明できてよかったな。ストレスも減りそうだ。

 

 

ただ、「変なの」って感じる感度が高いのか、いよいよこの社会で働く気力がなくなってしまってる。だって昔から変なんだもん。

 

わたしのすきなアイドルは「おバカ」って言われてる。いつからだろう、高学歴タレントとおバカタレントとで分断してそれを楽しむようになったのは。

彼は漢字が書けない。掛け算も出来ない。

RとLがわからないからイヤホンが付けられない。

それを笑ってる演者や雰囲気がとても苦手だ。

単に彼が好きだからではなくて、何がおかしいのかが純粋にわからない。

 

全知全能で生まれてくる人間なんていない(私の知り得る中では)。

だから、学ぶ。勉強する。

なので、知らないことがあるなら、教えればいい話で、嘲笑する理由がわからないのだ。

「これくらい知ってて当たり前」という枠組み自体が、私にはよくわからない。

 

そんな彼の文章力と共感力はずば抜けて素晴らしい。水瓶座の男だ、ザ・博愛主義の人。

「おばかだからかわいい〜」という気持ちはない。

むしろそんな気持ちでいる人とは一括りにして欲しくないくらいなんだけど。

 

ちょっと話がずれたけど、「変なの」という感覚はプライベートだけじゃなく、社会で生きていく中でもだんだん大きくなっていってしまって、とてつもなく生きづらい。

 

この「変なの」社会で働く人たちは、どうして「変なの」と感じないのだろう。

「変なの」と心が反応してから、どうしてそう自分は感じたのかを考えて、紐解く作業をしないのだろうか。わたしには当たり前の作業だ。

もしくは感じても、伝えない、伝えられないとんでもない大きな理由があるのだろうか。

 

人間、生きてる中で「〜すべき」なんてことは、よくよく考えたらほぼない。

だからって心のままに犯罪を犯すのは明らかにダメだけど、あまりにも縛られている。

思考まで縛られていて、「なぜそうなのか」を考えることを放棄してしまった。

 

「考える」作業は本当に大変だ。

数分、数時間、数日、数ヶ月、数年…

クイズ番組と違って特に答えの無い問題にアプローチするのは、莫大な時間と労力がいる。

けれど、「問題」を生み出すのは、自分の心のセンサーだ。感受性と呼ぶのかもしれない。

これが強い人間ほど、「変なの」と思うことが増え、悲しみ、傷つき、心がぐちゃぐちゃになる。

けれど、このセンサーがなければ「問題」は生まれない。「問題」のない社会なんて、この地球上どこ探したってないだろう、というかそうなのだ。いろんな人間が共存しているのだから。

 

「出来て当たり前」、「わかって当たり前」、「当たり前」というとても便利な言葉を用いて思考を停止させることは、簡単で楽なことだ。

そして、センサーを発動させる以前の問題だ。

 

だから、そのセンサーを大事にしよう。

「変なの」と感じるセンサーを。

そして考え、問題を見つけて、調べて、解決の道を探そう。

心はぐちゃぐちゃになるし、痛くて疲弊することもある。センサーが優秀すぎるから。

そんな時は、「わたしはわたし、あなたはあなた」の気持ちも忘れないで持っていてほしい。

しつこいけど、わたしがこう考えるからあなたもこう考えて「当たり前」、つまり「わたしはあなた」ではない。

「共感」したら、いったん感情は置いておこう。そして、建設的な「理論」を組み立てる作業を一緒にする。「変なの」という最初のテーマから離れないように。

 

こんなことばかり一日中やってたら気が休まることなんてないと思われるかもしれない。

答えはイエスです。生まれてから「ぼーっとする」という感覚を味わったことがないわたしは、ずっとこんなことばかり考えてる。疲れるよ。でも生まれてきた以上、何も考えないで自己中心的に生きて生涯を終える、ということにはまったく惹かれないから仕方ない。

 

「変なの」というセンサー、1日に何度働きますか。

ニュースで問題って言ってたから、とか、先生が言ってたから、とかも、元は「変なの」と感じた人が「問題」として声をあげたからであって、思考のスタートをそこに設定するのはちょっとチートな気もする。センサー元から探るほうがずっとずっと考えは深まる、(体力と精神的に)いい意味でも悪い意味でも。

 

「無駄じゃね?」「理不尽じゃね?」って思ったことも、それは立派なセンサーだし、自分で「問題」を作り上げることが出来たわけだから、あとは共有すればいい。「共感」してくれる人は必ずいるはず。

その後のことは好きにして。

あなたはあなた、わたしはわたし。